谷口研究室の歴史
闇に葬られるべきの事実の数々(単に執筆者の気まぐれと暇つぶし、とも言う)
「谷口研の歴史'97年度」執筆委員会
主執筆者:M1の某
闇の執筆者:M2の某
気まぐれ執筆者:M1の某
1998年
- 3月23日
- 博士課程在籍である中野が、学生から研究生へとなることになり、また、誕生日であることが判明し、ささやかな会が催された.
同日、研究室を去る学生が私物の整理を行っていたが・・・ほとんど引っ越し状態に陥ってる.
- 3月9日〜12日
- 研究室メンバー有志により、志賀高原へスキー旅行となった.この旅行中「せんだみつおゲーム」(注釈:このとは、「せんだ」、「みつお」と声をかけると同時に指差し、「みつお」と言われた両隣の人が「ナハナハ」と言う、てな、酒の席でないとできないようなゲーム.シラフで出来るところが恐い.)をマスターすべく、スキーよりもむしろ熱心に練習していたとかしないとか.宮川、金、坂本、市橋、深谷が参加.
- 3月2日
- 卒業論文発表が行われ、当研究室から青木、小川、桜、深谷の4名が発表を行う.(所属は電子工学科)
また、同日、北千里・八角にて打ち上げが行われ、研究室の全メンバーが参加.修士2年の学生は濱口研に在籍していたので、濱口研と合同で行われた.
が、やはりこの模様は伝えるわけにはいくまい・・・な.
とりあえず、事実関係だけを以下に少し述べると・・・北千里駅前の噴水の水を衣服に大量に吸わせたもの:若干名.胴上げされるもの:若干名.胴上げされるものの受け止められず個人の意志とは無関係に地面と熱い抱擁を背中からしたもの:1名.
間違いなく通行の邪魔、及び、迷惑になっていたのは間違いない.合掌.
- 2月27日
- 修士論文発表が行われ、当研究室から宇都宮、宮川、吉村の3名が電子工学専攻として発表を行う.(移行措置として、研究室設立当時の身分のままであり、所属は電子工学専攻である)
この発表会の開始時間を間違えた教授は、約1名の発表を見逃したが、大事には至らなかった、と言われている.
- 2月24日
- 修士論文発表を控えた修士2年が絶好調.博士課程進学希望するM2が特に絶好調.M2最後の日か?
- 2月17日
- 前日に、ひとまず卒論、修論の内容をとりまとめ、一息入れたとこで、なまった体を動かそう、と、サッカーを行う.
人数の都合上、全ピッチの4分の1程度で行ったが、それでもなまりきった体の持ち主達はへろへろで、みんな、日ごろの運動不足をこの時ばかりは呪った.
- 2月10日
- 谷口研究室の隠れたアイドル「小静ちゃん」の誕生1周年を記念して、鳥が、学生部屋にたまたま来てしまった教授を巻き込み、厳かに行われた.
会場は「ケンタッキーフライドチキン:小野原店」.
最高はM2のYの8ピース.
愛鳥家からの非難を一身に受けるのは間違いないだろう.
研究室に戻った後、メンバーの動きが一様に鈍くなっていたのは気のせいだけであろうか.
- 2月3日
- 谷口研恒例(本当か?)の豆まきが行われる.
当日、鬼役に内定していた、浜口研究室の某氏が開始時間前に逃亡してしまった為、急遽、同研究室のM2の守安氏に依頼し、快諾して頂いた.
会場は(会場は諸般の事情により隠匿することにする:主執筆者注)で行われ、昨年度も下位に低迷した阪神タイガースの応援バットを片手に、頭には鬼のお面をつけた守安氏に向かい、雨あられの豆が飛び交った.
そして、今年の恵方である、南南東に向かい巻き寿司を頬張った.
が、食べるのが遅く、かつ、休学中かつ、一時帰国していた桐原は今年もまた、絶好のターゲットとなり、みんなから声をかけられまくり、意味不明なゼスチャーを繰り返していた.
(関西では、豆まきの際、その年の恵方に向かって、1本の巻き寿司を食べると1年を無事に過ごせるという伝統があり、食べている間、一言も話してはいけないという禁忌もあるのである:主執筆者注)
そして、食べ終わり、しばしの間M2の宇都宮に対し、豆が投げられたのち、やおら掃除と相成った.
今年1年、また無事に過ごし、来年もまた豆をまきたいものである.
が、掃除の事を考えて、適切な豆の巻きかたを1年かけて検討しなくてはならないであろう.
- 1月5日
- 谷口研、談話室にてささやかな(?)新年会が催される.その場には男性しかおらず様々な女性遍歴(?)やツッコミが行われ、かなりの爆発.こいつは部外にゃ出されねー.とは言え大声だから丸聞こえだったとかどうとか・・・
なお、会は2部に分かれ、1次会には谷口、鎌倉、中野、夏、金、斉藤、坂本、深谷、市橋.2次会には谷口、鎌倉、金(途中退場)、斉藤、坂本、深谷、宮川(途中出場)、市橋が参加した.
1997年
- 12月22日
- M1の授業がまだあるにも関わらず、大掃除を敢行.日ごろの汚さはやはり、かなりの汚さであることを認識.しかし、遅刻者が多いのはあかんやんけ!
その後、忘年会が行われる.が、これはやはり部外に語るものなのか、騙るものなのか...ま、無事、千里中央「鷹ヶ巣」にて行われたのは間違いない.
- 12月12日
- 京都大学にて電子情報通信学会技術研究報告・シリコン材料デバイス研究会にて夏と斎藤が発表を行う.なお、発表前日に電車の便がない、などとわめいていたのは知る人ぞ知る.聞いた話では、乗りたい電車に乗れなかったとかどうとか...もっとも、発表はしっかり行われたのは確からしいが.
- 12月7-10日
- IEDMの学会がWashington,USAにておこわなわれ、教授と助手が参加.
- 11月26-29日
- 回路設計グループの市橋、Tan、小川が「第1回システムLSI琵琶湖ワークショップ」に参加した.しかし、内容が高度&聞いても仕方ない話の両極端に分かれており、初日からげんなりしていたメンバーもいた.うち、一人は日本のドクターになんか行くもんかと鼻息を荒くわめいていた.もっとも、わめく前に結果を出せ、と言う声がどこからともなく...
- 11月20-22日
- 「谷口研究室の歴史」執筆委員の主執筆者と闇の執筆者により、第一回谷口研究室の歴史執筆委員会が気まぐれ執筆者をないがしろにして、カナダオンタリオ州の州都トロントでおこなわれた。雨・雪・インド料理・ギリシャ料理・英語などの問題もなんなく解決(?正しくは適当にあしらって、か)し最終日のナイアガラバスターミナルでのシンポジウム「どうするどうなる谷口研(仮称)」で、今後の研究室のありかたを無責任に議論し幕を閉じた。この委員会の意図は当人達にも謎である。
(主執筆者補足:各々の食事は1時間を費やしていた・・・ぃゃぃゃ、そうじゃなくて、単に執筆者のきまぐれ、と...なお、9月から'98年2月まで吉村がカナダ・トロント大学へ遊び^H^H勉強しに行っていた事を付記する.)
- 10月27日
- M1のIがM1のSの「ボケ・ツッコミ」のタイミングが微妙にずれているのに気がつく.さらに話を進めていくと、どうもSは姫路出身で、「播州弁」なる方言に染まっていることが判明.これをもって、研究室の一部から「播州弁」は「関西弁」の1つとして認定されなくなった.この判定は、まさしくコスタリカ、かな?.(主執筆者補足:10月26日に国立競技場において、サッカー日本代表がUAE代表と試合をし、1-1で引き分けた.しかし、その審判の判定に対してかなりの疑問が出た.なお、この時の審判団はすべてコスタリカの審判だった.)
- 9月5日
- 博士前期課程(修士課程)の合格発表がなされた.当研究室より3人(青木、小川、桜)が受験するも、残念ながら不幸にも3人とも合格してしまう.来年が心配である.
また、同日、当研究室の指針を明確にすべく某研究室のコレとかコレに触発され、有志により、コレとコレを作製する.
- 8月29日
- 来月頭にカナダへ留学される吉村氏の壮行会が開催されました。
浜口研よりM講師,E氏,O氏,U氏らも餞別(なぜかサバカレーとメープルシロップ)
を手に駆けつけてくださり,宴もたけなわというところで,
吉村氏に対し(予行演習ということで)英語による質疑応答が行われると,
なぜか話題が吉村氏の彼女の話に。
このとき,B4・F氏の「How do you
communicate
with her ?」という質問に一同大爆笑。
吉村氏の顔が真っ赤っかだったのは,
果たして酒のせいだけだったのでしょうか???
また,宴も終わり,さて,胴上げ・・・というところで,K助手,暴走。
吉村氏を駅前の噴水に放り込んで,ついでに勢い余って自分も
飛び込んでしまわれたのでした。
(なお,その後予定通り胴上げ->噴水放り込みも行われ,イギリス滞在中のK氏が
果たせなかった偉業を元・弟子たる吉村氏が達成したことをここに記しておきます。)
- 8月26日
- 本日,院試(の筆記試験)が無事(!?)終了。
谷口教授・鎌倉助手の多大なる援助のもとに,打ち上げが盛大に行われました。
2次会はボーリング。久々にまともな量の酒を口にしたM2・Y氏は,
普通の人とは逆回転の投法により右端のピンを集中的に狙う猛攻で,
一同の喝采を浴び,一躍ヒーローになったということです。
(一部誇張あり,スコアは割愛)
- 8月24日
- ついに明日は院試である。4回生は最後の悪あがきに余念がない(かもしれない)。
しかし,一部(すべて!?)の4回生は不規則な生活のためにグロッキー寸前であった。
そこで,気合いを入れ直すために4回生のA君が提案したのが,なっ,なんと
。
長年現役がら遠ざかっていたため最初は戸惑い気味だったが,
幼少のころにその動作がすり込まれているためか体が勝手に反応していた。
第一を難無くこなし,第二に移ろうかというときにM2のY氏に
まだやるんかい!」
とたしなめられた。
これと
これが体操するA氏とS氏の様子である。これが吉と出るか凶と出るか見物である。
- 8月17日
- この日浜口研究室の卒業生である鈴木氏が研究室に遊びに来て,
同級生であった鈴木氏と宇都宮,宮川,吉村の4人でボーリング大会が開かれた.
結果は鈴木氏の圧勝,宇都宮の惨敗であった.
詳しい結果は気分次第で掲載することになるかもしれません.
- 8月9日
- 当研究室のU氏により,「瀬戸内海川説」が発表される.
四国が海の向こうにあると言われたことにプライドを傷つけられた
四国出身のU氏曰く「瀬戸内海は川なので四国と本州は地続きだ.」
だそうだ.
最初は面白い話だったが詰めが甘かったのでここには説明に用いられた
図を
示すだけにする.
- 8月5日ごろ
- 院試勉強のためかB4に疲れが見え始め研究室で睡眠を取りだす.
(原因は院試勉強だけではないとのうわさもあり.真実は後日明らかになるかもしれない.)
この睡眠が半端なものではなく
この様な状態で寝る者もあり,研究室に居たM2は気を使ったとか
使わなかったとか.
- 7月17日から18日
- 恒例(?)の研究室夏旅行に出かける.
前年は浜口研との合同旅行であったが,今年からは独自色を打ち出し白浜旅行を計画.
しかし,研究室のメンバーに下宿生が多く,
旅行費用がかさむと生活を脅かされる危険が高かったため1泊2日の旅行となる.
旅行中には様々な出来事があったが特筆すべき出来事といえば,
17日の夜に行われた花火大会(?)において,今回の旅行の幹事(兼営業一課課長)でもあったM1の
斎藤がひょんな事から服のまま海に投げ入れられるということであろう.
詳しいことをここに記すことは控えるが,その日の斎藤はとても輝いていた.
- ??月??日
- このあたり,主執筆者が多忙のため歴史に空白ができる.
(だたたんに飽きたとか面度臭かったとかとも言う)
(主執筆者補足:いやぁ、ちょっと時間がなかっただけ・・・)
- 5月16日
- 配属されたB4の歓迎とし、千里中央「鷹ヶ巣」にて行われる.
勘のいい方ならもうおわかりだろうが、不健康きわまりない、この会が口外されることがあるはずがない.
ご覧の方の想像にお任せしたい.
- 4月19日
- 新歓、ということで、摂津峡にて野外バーベキュー(単なる焼き肉、という声もなかったわけではないけど.)を行う.
その詳細はこちらにて.
かなり健康的なイベントと言えるのではないだろうか.
- 4月16日
- 配属直後の4回生が製本の方法や、電話機の設定などさくさくしている。
もっとも夜中までいる4回生もすでにいる。
まぁ、こんなもんでしょ。
去年もそうだったし・・・
- 4月15日
- 新しく4回生4名(青木、小川、桜、深谷)が配属される。去年より1日早い配属である。
なお、当日、配属決定直後に研究室に案内しようとした休学中のD2と助手が尾浦教授からしかられたのは、語るべきだろうか?
- 4月9日
- 修士学生の入学宣誓式が行われる。が、もともと電子工学科に所属していたメンバーから「式にはスーツを着ていけ」と言われた修士1年は、真面目にスーツを着ていった。
が、「電子情報エネルギー工学」では、誰もスーツを着ておらず、一同ブルーになる。
(もっとも今年も「電子工学科」ではスーツの着用だったそうだが。)
- 4月8日
- 濱口研と合同で「お花見」が行われる。大騒ぎすることもなく、おだやかな「お花見」であった。
桜の開花は今年は早く、更に雨が降ったりなんかしたりして。
短い期間しか楽しめなかった。
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