谷口研究室の歴史2000
これは21世紀に伝えるべきものなのか?!(んなわきゃないか)
「谷口研の歴史」執筆委員会
まさに最高学年の(ひとりぼっち)委員長 : D3の某
新人だけど 2人しかいないので副委員長 : M1の某
2000年
- 4月 3日
- あらたにもう一人秘書さんが来られた.みためはやはり天然系のようである.
真価はおいおい明らかになるものと思われる.この日,先輩秘書さんの古田さんが
とても張り切っていたように見えたのは私だけだろうか.
- 4月 6日
- ずいぶん久しぶりに e7-misc が盛り上がる.話題は席替え.
人数が多くなったせいか結局メールでは話がまとまらず結局ホワイトボードで
議論を行なった.
- 4月 7日
- 電気系の助手・博士後期課程の学生の集まりで花見が催される.
めずらしく他の研究室の方に迷惑をかけず,自分たちだけでさわいだ.
- 4月11日
- 毎年恒例,浜口研究室との花見大会を行なう.
例年同様フトドキものが多数出没したが,その中でも某技官は木から滑り落ちた.
奇跡的に無傷であったが,一瞬は漫画のように木に引っかかっていた.
みなさん,かれた枝には注意しましょう.
- 4月19日
- 某M2(休学中)の壮行会と秘書さんの歓迎会をかねてバーベキューが
行なわれる.どこかでリミッタが外れてしまい,M1のH氏のダメ出し以外は
とてもここには書けないような地獄絵図が繰り広げられた.
場所が大学の中で良かったとつくづく思うのでした.
- 4月?日
- かねてから懸案であったベッドのした有効利用計画が発動され
他だの荷物おきであったベッドの下が有効に利用されるようになった.
一階のへやの宿泊可能人数が 3人となった.稼働率が高い気がするのはなぜ?
- 5月9日
- M2を休学中のF氏がイギリスに旅立つ.前日も大学に泊まっていたような
気もするが,谷口研究室海外特派員として頑張ってもらいたい.
- 5月18日
- 新入生歓迎の宴が江坂でおこなわれる.いつのまにか恒例となった
4年生の出し物がとてもではないが公開できるものではなく,あやうく
居酒屋も追い出されてしまいそうであった.毎度のことではあるが,
はめをはずした時はこの団体に近付かないほうがいい.
- 6月8日
- 突然,D2の K氏が
「TOFELの申込書にのっている写真の女性は卒業したK氏ににている」
と発言.皆さんの意見を伺うべく入口の伝言板に張ってみました.
研究室に来られる方は是非ご確認を.
- 6月14日
- 電子工学科 2年生の学科配属歓迎の宴が催され,電子工学科所属である
当研究室の4年生が歓迎するため出席する.宴会における研究室期待の星
I氏がまたもや暴走.1次会もそこそこに,教授,他の研究室の助教授 2名,
4年生たくさんで2次会(at 谷研談話室)が盛り上がる.
肝心の2年生の姿が一瞬しかなかった気がするのはどして?
- 6月19日くらい
- 回路グループのI氏が研究室連続滞在の自己ベストを更新.
設計は計画的にしましょう.
- 7月14日
- 今日は恒例・夏旅行前夜祭.研究室ではマージャン大会が開かれる.
数名は梅田の居酒屋に遊びにいったがなぜかそこで出勤簿を渡され
カルチャーショックをうける.
- 7月15-17日
- 恒例の研究室夏旅行に出かける.車7台で,行き先は毎度おなじみの
和歌山県の白浜.今年も初日は曇,二日目は快晴という天気で数名が
日やけのため倒れそうになる.とくに二日目の夜は皆既月食ということもあり(?)
花火もそこそこに海に飛び込[む|まされる]ものもいた.
が,大半のものはよなよな中国語の勉強に余念がなかった.
筆者の個人的な感想としては4年生がおとなしかったきがする.
院試に向けて是非頑張ってもらいたい.
- 7月31日
- 長期休暇から復帰された先生の口から重大な発表があった.
それは,以前から特別研究員として在籍されていた松岡氏が当研究室の
講師に内定した,というものだった.
勢い余った一番弟子のP氏は...
- 9月1日
- いよいよ松岡先生誕生の日である.一カ月の間コメントアウト
されていたひとつ上の歴史の項目もめでたく公開された.
ようやく職員が揃った谷口研究室であるが,学生は頭数だけ多いのか?
- 9月29日
- 日曜日に停電があるので研究室某所の冷蔵庫の整理が少しだけ行なわれる.
そこで,6月初旬に賞味期限の切れた緑茶と,8月初旬に賞味期限
の切れたヨーグルト×2が発見された.
緑茶がほうじちゃのようになり,さらに梅干しのような物体がなかに
発生していた事はどこかの学会に報告すべきものだったのかもしれない.
- 9月30日
- ガスに関する機器のない一階ではこれまでコーヒーを電気ポットで入れていた.
がめんどくさくなりついに,安物のコーヒーサーバーを購入した.
導入されて早々,稼働率が高い.コーヒー好きにはもってこいの部屋となった.
- 10月13日
- 今日は13日の金曜日.全然関係ないが研究室の秘書が,
「M1のH君がキムタクににている」と発言.生協でFMVのカタログをもらってきて
本人にめがねなどを記入してもらい真偽のほどを確かめる.
うーん,にているといえばにているが...
- 11月27-29日
- ラフォーレ琵琶湖で開催された第四回システムLSI琵琶湖ワークショップに
回路グループの数人が参加する.
例年同様居眠りなどを繰り返していたが,今年は意を決してポスターセッションに
参加する.数年の研究成果を満載して挑んだためなんと
優秀ポスター章をいただく.
ポスターセッションの時も表彰されるときも普段着であったのは
谷研の特徴を良く表している.
- 12月1日
- いよいよ20世紀も後一カ月となった.
そんな日の夜,明後日(12/3)に停電がある事が突然判明する.
どこで情報がとまっていたのだろう...
- 12月3日
- おでん週間始まる.
- 12月6日
- おでん週間あっけなく終る.
- 12月12日
- 今日は平成12年12月12日.
研究室の一階のへやでは廊下のドアがあきっぱなしになる事が多く
寒い思いをしていたが,
ふと思いたちドアを本来の機能で自動的に閉まるよう修理する.
その際に必要だったネジをどこから手に入れたかは極秘である.
- 12月20日
- 今日は大掃除と忘年会の日.今年こそは遅刻者なしを目指したが
達成できなかったようである.新企画としてお握りが振舞われたが,
具にハズレも混じっていたため辛い思いをした人もいた.
忘年会はというと例年になくおとなしい忘年会だった.
2001年
- 1月1日
- 21世紀開幕.研究室はいつも通り.
- 2月1日
- 今話題のミニモニ。が研究室にも登場.某4年生たっての希望で
彼のコンピュータは minimoniと名付けられた.
かなり古いコンピュータを再利用したため設定が難航しM1が2名泊り込んだ
ことをここに記しておく.
- 2月3日
- 歴史執筆委員会の委員長の思いつきで某M1を執筆委員に加える.
それとともに委員長個人のページから再び公式ページへと勝手に帰り咲く.
ちなみに今日は節分であったが,風邪の流行で人が少なかったため
恒例のイベントは行なわれなかった.
- 2月11日
- 最近研究室内でも話題騒然の歴史ページ.
2月1日の歴史を見たD1のS氏がひとこと
「ミニモニ(注1)ってなに?」とのたまった.
その場にいた全員に「え」といわれたS氏は相当気になったらしく
権威である4年生にも尋ねてみた.しかし,「(え,知らないんですか)もういいです」
の一言で片付けられた.S君,研究室に住むのもいいけどたまにはテレビも見ようね.
(注1)当然,"。"はついていなかった.
- 2月20日
- 今日は修士論文発表会.M2が次々と発表する.
そのうち進学予定の2名は午前中の発表であったが終了後お決まりのように
ブルーになっていた.「数珠を忘れたのが敗因だった」(進学予定のT氏).
卒業予定の5名は一見無事に発表したかに見えたが,
論文の謝辞に某教授の名前を間違って書いてしまうという大失態を
やってしまった.しかも,みんな一人が書いたものをもとに書いて(コピーして?)
いたためことごとく間違っていたという....
- 2月22日
- 研究室のマスコットとして定着してきたP氏がめずらしく(?)的を射た発言
をしたためそれを聞いた一同は大爆笑であった.彼が自分のことを語った一節である.
「僕は不可能を可能しに,可能を不可能にする男ですよ!」
不可能を可能にするかどうかには疑問があるが,可能を不可能にすることに関しては
疑問をはさむ余地はないだろう.P氏の未来に栄光あれ!!
- 3月2日
- 今日は卒業論文発表会。谷口研からも5人の4年生が発表を行なう。
全員無事発表を終える。その後、飲み会でみんなはじけたのだが、
何故か打ち上げ役のM1(私)が、打ち上げられ役の某4年生の罠にはまり
メガネを壊してしまう。証拠1、
証拠2。無事発表が終って
よかったのだが....
- 3月6日
- 電子情報通信学会関西支部学生会学生発表講演会が阪大吹田キャンパスで
行なわれ当研究室からも4名が発表をした.
めずらしく(?)教授も参加し,それぞれそこそこの発表をする.
そしてそのうち1名がみごと表彰される.
講演会終了後の懇親会で表彰が行なわれたが,4名の心はすでにそこにはなく,
待ちに待った春休みへと突入していたとか.
- 3月16日
-
シノプシス・デザインコンテスト2001に当研究室の B4で回路グループの
期待の新星 S氏が参加した.なぜかチーム名は「Team Tsuji-kon」だった.
それが功を奏したのかみとご優勝する.
商品はディジタルカメラらしいが,まだ本人も現物を見ていない.
- 3月21日
- 年度末になり、毎年恒例の追い出しコンパが江坂で開かれた。
今年は例年になく追い出される方が多く、M2が5人、B4が1人めでた
く追い出される。今年は強気な物真似(?)がD1のP氏により披露され、
一同、唖然としつつも、楽しく終了。しかし、いつも通り
某M2と某M1が飲みに飲みまくったらしく、いつも通りの壊れよう。
来年度もこの傾向は変わらないだろう。。。
- 3月23日
- 今日は卒業式.その後行なわれた恒例の祝賀会ではじけられなかった
B4の某氏は研究室に帰ってきた後,ワインを数本空けて大暴走.
いろいろと暴言(?)が飛び出した.もっとも衝撃的だったのは,
「研究室の人達って時間にルーズなんですよ.10分前には行動しておくのが
常識ですよ.時間厳守です.」というものだった.
日頃おとなしいのでちょうど良いくらいだったかもしれない.
- 3月26日
- この時期になって今年度最初の「とりの日(KFCのランチバイキングにいく日)」
が開催された.いつの間にか60分の時間制限が設けられていたためか
最高記録はB4某氏の6ピースにとどまった.
参加者の下校時間が早かったのはいうまでもない.
- 3月28日〜3月31日
- 第48回 応用物理学関係
連合講演会が明治大学駿河台キャンパスにて行なわれ、当研究室
からも10名が発表を行なった。練習の甲斐あってかどうかは知らないが、
皆それなりの発表を行なう。長期休暇をとる予定の者、早速学会の予稿が間近な者
と様々であったが、来年度への躍進を誓っていたかどうかはさだかではない...
[歴史のページに戻る]
[谷口研ホームページに戻る]
$Date: 2003/01/20 12:39:28 $