谷口研究室の歴史1999
ここに綴られる驚愕の新事実(いや,ほんまに).
「谷口研の歴史」執筆委員会
居残り委員長 : D2の某
1999年
- 4月 5日
- 恒例の花見が浜口研究室と合同で行われた.前年にも増してフトドキ者が
多数出現し,木の上で電話をするものまで現れた.来年は何が起こるのだろうか.
宴の方はというと,不条理な裁判長が仕切り多数の有罪判決が下された.
- 6月 27日
- 日曜日だというのに研究室には,学会予稿締め切りのため人がいっぱい!
- ..............
- やはり毎年恒例のように歴史に空白ができる.今年はいつもにもまして長かった.
- ..............
- 11月 29日
- 研究室のWebPageが大改変されたために一時行き(生き?)場を失った
この歴史のページが某OBおよび某教授のたっての希望で復活する.
正式な歴史の座をはなれ歴史執筆委員長の個人的なページに格下げとなる.
- 12月2日
- イギリスからの留学生とともに桃山台のカプリチョーザに行く.
案の定まんぷくになった我々は南千里の駅まで約 1km を散歩した.
日頃の運動不足がたたって息切れするものもいた.歩いただけなのに...
- 12月 7日
- KFCが好きだといったイギリスからの留学生の言葉をまに受けて,
研究室恒例の「とりの日」が(久々に)開催される.
彼は大量の鳥肉をたいらげていく我々をみて,
「あとで鶏が口から出てくるに違いない」と(英語で)いったそうな.
ちなみに今回の最高記録は7ピース.
- 12月 23日
- 今日は忘年会.いつのまにか大所帯となった谷研一同は,
梅田某処の居酒屋の2階を占拠し忘年会を行なった.
OBも数名参加され,数名を除きいつも通りの宴会であった.
2000年
- 1月 1日
- 2000年である.2000年問題もなんのその,数人が研究室で年を越す.
平和であった.
- 2月 9日
- どういうわけだか執筆委員がサンフランシスコで行なわれた
ISSCCで発表をする.サンフランシスコは雨続きだった.
登壇者はその後しばらく行方不明となる.
- 2月23日
- 電子情報エネルギー工学専攻の修士論文発表会が行なわれる.
われわれの研究室からは後期課程進学者を含め4名が発表を行なう.
「皆さんにわかりやすく」
を心がけたおかげで他の研究室の先生方から
好評をいただく.特にそのうち1名は執筆委員の提案した無責任なモデルを発表に
持ち出しちょっと恥ずかしい思いをする.
- 3月 1日
- 電子工学科の卒業論文発表会が行なわれる.
谷研からは6人が発表する.あまり焦っていた人がいなかったのは
みんな大物なのかそれとも….
発表終了後,当然のようにうち上げが行なわれ数名が打ち上げられた.
この時期の北千里駅前は注意した方が良い.
- 3月10日
- 研究室を一時はなれ出稼ぎにいっているS氏が研究室を訪問された.
みんなで三田屋にくりだすはずだったが格下げにあったようである.
次回に期待したい.
- 3月13日
- 3月末は学会で忙しいためこの時期に早くも追い出しコンパが開かれる.
追い出される人は3人だけだったが,例年同様大騒ぎあり,体当りあり,
説教ありのモリダクサンの内容であった.
一番のなぞは2次会がしゃぶしゃぶ食べ放題であったことだろう.
- 3月14日
- 昨日食べ過ぎた分の運動をしようということになり,数名が万博外周一周
レースを行なう.2名が足で,1名がローラーブレードで参加した.
日頃の運動不足および路面の悪条件のため全員足元がふらふらであった.
後で気付いたことだが今日は大阪万博開幕30周年の記念日だった.
- 3月24日
- 谷口研における広島風おこのみ焼き週間始まる.キャベツの消費量が
恐ろしいほど多かった.
- 3月29日
- 今日はM2最後の日.いつもの3人で最後の晩餐.研究室が寂しくなるなぁ...
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